最近聞いたニュースなんですけど、警察で検挙の数だったかな、警察署同士で点数を競っていて、その点数稼ぎで不祥事を起こしたらしい。
「警察官をもっと働かせるにはどうすればいいか」と、警察の偉い人は考えました。
そうだ警察の仕事を点数化して競わせればいいんじゃねか?
そのように考えたのでした。
「多くの警察官はほっといたら仕事しない」よなと考えたわけです。
これに対して、頭の良い現場の警察官たちは考えました。
「どうやったら少ない努力で数字を稼げるか」
「できるだけ短時間で数字が出るような仕事を最優先させよう」
この反応は当たり前ですよね。
塾業界でも
「どうやったら少ない努力で数字(利益・生徒数)を稼げるか」
「できるだけ短期間で数字(利益)が出るような仕事を最優先させよう」
塾のフランチャイズ化なんてまさにそれの究極の形でしょう。そんな子どもじみた競い合いはちっとも楽しくないので会社を辞めてしまったんですけど(・_・;
このことはどの業界でも同じなのかもしれませんね。
「数字を競わせれば、人間の能力は最大限引き出せる」という人間の理解が根底にどうやらあるようです。「子ども同士をテストの点数で競わせて勉強させる」というのと同じ発想です。
そんなとき子どもは「点数を上げるためにカンニング」をすることがあります。なぜなら点数を競っているからです。点数を上げるためならなんだってします。
そんなバカなと思うかもしれませんけど、点数を競わせれば自然とそうなってしまう子がいます。
これも「まぁ子どもだから仕方がないな」と思うところもあります。
「点数出せないなら不幸になるよ」と大人が繰り返し子どもに脅しをかけた結果かもしれませんから。
ところで、警察・会社などの組織には、「カンニングする子どものように」無邪気に数字稼ぎに走ってしまう大人が少なからずいます。実際そういう「子どものような大人」が今回の警察の事件でも不正を行ったわけです。
そう考えると「数字で競わせること」というのは、「大人の仮面を被った子ども」「子どものままの大人」を炙り出す為には、非常に有効なツールになるとも言えそうですね。「もっと仕事をさせたい」という思いは適いませんでしたけど。
だから、何でもいいんですけど、例えば朝早く起きて点数を競わせるというゲームがあったとしましょうよ。ラジオ体操で集めるスタンプのようなゲームです。
点数をたくさん集めた人は幸福になりますよ(orお金あげますよ)!
ということにするんです。
もし参加する人がたくさんいるとすれば(生きていく為のお金がなく食べることができず働くこともできない人を除いて)、そこに集まった人達は全員子どもなんだというわけです。
なんだかとても悲しくなりました。
コメントをお書きください