昨日、鎌ケ谷「きらりホール」での「かみさまとのやくそく」自主上映会が無事に終わりました。
この映画で印象的だったのは、赤ちゃんの言いたいことを翻訳してくれる「たいわ士」の方が登場していた場面です。
「痛い」と子どもが言ったときに、「それぐらいなら痛くないから大丈夫」と言うのは良くないと、その「たいわ士」の方は言っていました。
なるほど、子どもは「痛い」と言っているのに、「痛くない」と言われたら子どもは「わかってもらえなかった」となってしまいます。
また赤ちゃんがよく泣いたとしても、「今日は泣きたい日なんだね。」とその「たいわ士」の方は解釈します。むしろ泣かずに我慢してしまう方が問題だというのです。
このような「承認するコミュニケーション」を子どもに対して、ついつい私たちは忘れがちになってしまいます。
しかも、この承認するコミュニケーションを取らないと、そこでコミュニケーションは終わってしまいます。
「あ、この人に言ってもダメだと」
結局、その子の言いたいことや、悩んでいることなど、問題の本質(根っこ)はわからないまま。
これを思春期の中学生に応用すると、
「やる気が出ない」と中学生がこぼしたら、
「そうか今日はやる気が出ないのか」と一度承認してみる。
「疲れた」
「そうか今日は大変だったんだね。何があったの話してごらん。」と承認してみるのが良さそうです。
ところで、就職活動の場面などで「コミュニケーション」の言葉は使われています。ここでいうコミュニケーションというのは、「相手の質問に対して的確に答える」ようなことですよね。でもこれはあまり人間関係を円滑にするものではありませんよね。
「疲れたぁ」
「それは昨日夜遅くまで携帯電話をいじってたから。今日は反省して早く寝ましょう。」
そんな的確に指摘されても、イラッとするだけだったりします。そんな返答は求めてないよと。なんか説教臭いんでしょうね。
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