先日、鎌ケ谷市役所に行きまして、鎌ケ谷市の教育長に挨拶してきました。
そのときに「塾と学校が連携してやるようにして欲しい」と教育長に言われました。
具体的な場面は「生徒が学校の先生を悪く言っているとき」です。
塾で働いていると、学校の先生の悪い話を聞くことはよくあります。
特に中学生は反抗的なところもありますから、学校の愚痴をこぼします。
そのような話が出たときには、子どもと一緒になって学校の先生を悪く言わずに、後日、校長先生に相談に行くか、市の指導係のところへ相談に来てほしいとのことでした。
そんなことがあって思い出したのが『先生はえらい』(内田樹著)という本です。
これによると、「先生はえらい」と思いさえすれば学びの道が開かれるということが書かれていました。
何を教えてくれるかを先生に期待してしまいますけど、そうではなくて学ぶ側の「解釈」の方が大事だというわけなんです。
それには「先生はえらい」と思っていないと、先生が発信するメッセージの解釈はされません。
「あーまたあんなこと言ってるよ」で終わってしまいます。
もし「先生はえらい」と思っていれば、「先生の言っていることはどういうことなのか」となって学びが発動します。
そう考えると、「先生はえらい」と思っている子どもの方が、そう思わない子どもより学ぶ力がつくということになりますね。
●(引用)弟子は、師は私の知らないことを知っているはずだと想定したことによって、何かを学んでしまいます。そして、何ごとかを学び得た後になってはじめて、その学習を可能にした師の偉大さを思い知るのです●
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