勉強するのは誰の為?というありきたりな質問


この台詞…大人に言われたことありませんか?


この質問の答えって、大人は「自分のため」と答えます。

「人のため」と子どもがいうと、大人は怒ります。

誰も勉強してくれとは頼んでない、と。

 自分の期待通りの答え(自分のため)が返ってこないからってこの反応…


自分のためと自分に言い聞かせ

楽しい遊びの時間を削り

辛い時間を我慢し

勉強すると

後で楽ができる(はず)

大人はそれを実感している。

だけど勉強したその先にあるものって子どもにはわからない

勉強してその勉強したものがテストに出て100点をとったら大人に褒められるとか、同級生から羨望の眼差しを向けられるくらい。

それを将来の選択肢が広がるとか、大人の理屈で子どもを納得させようとする

 

 三日坊主という言葉があります。何かを始めても三日で終わってしまい、長続きしない人をさして呼んだりしますね。

なぜ三日坊主になってしまうのでしょうか。

はじめるときの決意は素晴らしいものだったはずです。

この苦難を乗り越えれば自分には輝かしい未来が待っている、と。

でも三日目あたりから苦しくなってきます。

何のためにやってるんだろう…という自問自答が始まります。

こうなるともうダメ。

だって、自分のために始めたものが自分を苦しめている。

誰に怒られるわけでもない。自分が納得すればいいんだ。

さて四日目。

自分のために苦しむのはやめよう。

無理のある計画だったんだ。

と考え始め……

次は続けられる計画を立てよう。

こうして最初予想していた効果は、計画を下方修正することで、達成できなくなっていきます

  

だったら逆に、人のために勉強したほうがいい。

人のために勉強している。

と考えてみたら、応援されてる気分になりませんか?


どうせやらなきゃいけないなら、モチベーションは何でもいい