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あけましておめでとうございます。旧年中からお騒がせしている塾業界パラドクスは、今年も全開で進めていきますのでよろしくお願い致しますm(__)m
さて、仕事終わりにラーメンを食べたくなることがあります。そんなとき、鎌ヶ谷にある「和ッ」というラーメン屋さんに行きます。鎌ヶ谷にきてから、この店だけはリピートしています。
教室からちょっと離れたところにあるのですが、空腹を満たすために手近なところで食べるより、足を運んでいます。
先日、雇われ塾長やっていた時代にフォローさせてもらったお母様から、かまなびに電話がかかってきました。
小倉の名前で検索したらヒットしましたと。探しだして連絡をくれたようです。
子どもが受験だということで真っ先に浮かんだのが小倉だったというのは本当に光栄なことです。
電車に乗ってかまなびへ通おうか検討中で、話を聞きにきてくれるとのこと。
「近くに塾はたくさんあっても、通わせたい塾がない」ということで、みなさんを悩ませているようですね。
大手の塾はくさるほどありますけれど、コンビニ化・ファーストフード化してしまっています。
一定の味は楽しめますけど、それ以上は期待できない。
「なんで隣の駅の教室でやっているのに、おかしい、不公平だ」となりますからね。
CM、HP、チラシなどをみても、言葉遊びに終始している感じです。
「お題目は立派でも、唱えているだけなんだろう」というのはすぐにわかりますよね。身体が伴っておらず、脳で考えただけのロジックというか(ロジック好きの人が塾屋には多いですから)。
保護者や生徒と面談しているとき、コンビニ塾では結論があって話が展開していきます。
だからどこの塾でも同じような話をされます。下手に独自路線を出して失敗したら嫌ですから、思っていなくても同じようなことを言います。しかもその失敗かどうかの判断基準は、「在籍」や「授業の売り上げ」で判断されるので下手なことは言えないのです。
しかし、結論の決まっている話ほどつまらないことはありません。会社のつまらない会議と同じです。時間の浪費です。このことに自覚がないのがコンビニ塾です。だから保護者や生徒も不安になります。
私の場合、「塾に通うこと」ですら疑問を投げかけます。
だって、大事なのは「どうしたら、その子のパフォーマンスを最大にできるか」でしょう。塾の授業を受けない選択だってありうるからです。
ところで、私が目指すのは職人路線です。塾屋ではない道を歩んでいたとしても、この職人路線だけは歩んでいるはずだということはわかります。
内田樹先生の言葉で「強い現実」「弱い現実」というのがあります。
『街場の戦争論』(ミシマ出版)から引用しますと、
●ある転轍点(てんつてん)を過ぎて、違う路線を進んだ場合には「変わるもの」と、どの路線を進んでも「変わらないもの」がある。僕はそのどちらもが同じ「現実」だと言い切ることはできません。僕はそれを「弱い現実」と「強い現実」というふうに言い分けるようにしています。(略)この吟味の作業は重要だと思います。とういうのは、「たまたまもののはずみで現実化してしまった弱い現実は、このあともわずかな入力の変化で簡単に消えてしまったり、形を変えてしまうからです。そのような脆弱(ぜいじゃく)なものに自分の生活の基盤を置くことはできません。自分の軸足はつねに「強い現実」の上に置いておきたい。僕はそういうふうに考えています。●
私にとっての「強い現実」は「職人路線」で生きていくことです。「弱い現実」は「コンビニ路線の塾で働き続けること」です。
弱い現実は、自分の人生においては弱いですからあっという間に崩れ落ちてしまいます。だから自分の人生の基盤は「強い現実」の上に置きたいと私も思います。
そしてどうやら、この職人路線の「強い現実」に進んだ方が、喜んでくれる人は多そうだということも実感しています。今回のように遠くから会いに来てくれる人達がいるのですから。
教育に関しては、いろんな選択肢があった方がいいはずです。いろんな子がいるのですから、結論ありきでは対応できません。「結論なく、子どもの状況をみて、話してくれる塾もあるんだ」というところを示してきたいと思います。
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