【生徒分類3】集団も×、個別も×の生徒


これまでの復習です。

 

集団指導塾で脱落して個別指導に回っても、集団と個別の併用するなど何か特別な手を使わない限りほとんど成功しないということを前回指摘しました。

 

結局、個別指導という授業システムで成功しているほとんどの生徒は、集団でもついていける生徒だったのです。

 

 

僕が大手の個別指導を辞める頃に、「個別指導の授業を予習型の授業システムにしよう」という話が出ていました。

 

これなどは成績優秀者に合わせた改革ですよね。個別指導の現状がわかっていないんだなとそのとき感じたのを今でも覚えています。

 

個別指導に通っている生徒のほとんどが、集団でも個別でも結果がでにくい生徒達だという認識をもっているのでしょうか。

 

1週間に1科目宿題つきではどうすることもできない生徒が半分以上くらい個別指導に通っています。毎年、受験結果や偏差値推移などをみてみても、そのことは明らかでした。

 

ほぼぶっつけで受験する中3最初の模擬試験の結果で、偏差値50以上取れる生徒は個別指導でも成績が上がっていきます。つまり、塾に左右されない生徒達です。これに対して、偏差値40前後の子達は、最後までそのまま推移することが多いんです。

 

半数以上が偏差値40前後(35~45ぐらい)の生徒ですから、むしろこのボリューム層をなんとかしなければいけません。

 

僕が個別で働いていたときには、どうにかそういう個別指導塾に通うだけでは厳しい生徒達をなんとかできないかと、あれこれ思考錯誤してやってきました。

 

しかしそれを一律のサービスを目指すコンビニ型個別指導塾でやってしまうと、過剰サービスと判定されてしまいます。となりの駅のコンビニ塾ではやっていないぞとなってしまいますからね。だったら会社全体でやってくれればいいのですが、前述の予習型授業のように、どうやら自分とは現状認識が違うらしい。

 

 

「個別授業システムでは学力下位層を救うのは難しい」ということを自覚できるかが個別指導やる上では欠かせないことです。

 

しかし、塾に左右されないような学力上位層の生徒でうまくいっているやり方(予習型授業など)にどうしても意識が向いてしまうようです。

 

 

個別指導で成績が上がっている生徒はどんなやり方をしてるんだ?

と問いかけ、

 

だったらそのやり方でみんながやればいいじゃないかという思考に陥ってしまうのです。

 

こうして個別指導自体のシステムの瑕疵に、運営している人達すら気が付かないのです。

 

ましてや塾を探している生徒や保護者の方達がわかるはずがありませんよね。

 

 

 

ところで「集団指導よりも個別指導の方がわかりやすい」とよく聞きますけど、この点についてもっと掘り下げて考えてみます。

 

たとえ話をしてみます。

集会で、旅行の説明をしました。しかし全員がその説明で理解できませんでした。理解できた人は先に出発して目的地へ向かいます。
理解できなかった人・聞いていなかった人は、その後、個別に説明受けてからの出発です。
個別説明はこんな具合になります。
ねぇねぇ聞いてる?どこまでわかった?集合場所は聞いてたんだね。その後が聞いてなかったって?それはね、そこから歩いてバス乗り場に行くんだよ。家にお財布を忘れたって?それなら一度取りに戻らないといけないね。…
この個別説明を受けている間に、全体説明を聞いて理解できてしまった人は先に出発しています。そうすると、個別説明を聞き、しかも忘れ物があったりすれば出発はかなり遅くなってしまいます。
とても当たり前の話です。
もし、旅行の目的地がテストや入試のタイムリミットつきのイベントだったらどうでしょう。
忘れ物が基礎知識・学力だったらどうでしょう。
いくら個別にわかりやすく説明してもらっても先発組に追いつくことは通常起こらないのではないでしょうか。
特に塾の場合、案内役の先生・講師が、集団ではプロや専任の人が担当し、個別では短期間働く大学生が案内します。これでは、個別組が集団組に追いつく可能性はほとんどありえないのではないでしょうか。
せいぜい追い抜けるのは集団組でわかったふりをしていて置いてけぼりにされて道に迷っている子達でしょうか。しかし、この子達も個別指導に流れてくるわけですから、迷い続けてくれるわけではありません。今後は同じ個別システムで学んでいくことになります。
塾や学校などの集団指導でついていけなかった子達が、集団指導でついていっている子達とも競えるようにならなければ、個別指導の意義はないのではないか。
しかも集団○個別○の塾を選ばない生徒向けのやり方ではなくて、個別でも救われていない集団×個別×の生徒をベースにもう一度塾の仕組み自体を考え直したい。
そう考えたときに「脱個別指導」としての「第三の道」を私たちは模索するようになったのです。
続く