かまなびの本棚にはジャンルを問わず様々な本が入っています。
スタッフが今まで集めてきた本を一堂に集めたのだから、そうでしょう。
中にはスタッフが子どもの頃読んでいたものや、大学時代の教科書までそろっています。
しかし、残念なことに中学生はあまり読んでくれません。
曰く「難しい」
曰く「時間がない」
曰く「つまらない」
小学生はというと、学校の宿題が終わったあとに本棚を眺めています。
読めそうな本がないか探しているのでしょう。
また、“小学生向け”の本ではなく、大人向けの本を借りていくこともあります。
この辺の違いが、学力とある種の相関があるのかな、と思ったりもします。
さて、そんなオールジャンルの本棚で見つけた本が
外山滋比古 「読み」の整理学 ちくま文庫 です。
以前に「思考の整理学」は読んだことがあったので、似ているタイトルで親近感が沸き、読むことにしました。
筆者はこの中で、読み方には二種類のものがあると定義します。
ひとつは音を拾って「読む」アルファー読み
もうひとつは意味を拾って「読む」ベーター読み
既知のものや、一対一で対応する言葉ではアルファー読みで理解できるが
未知のものや、抽象的な言葉ではベーター読みをしなくては理解できない。
一見当たり前のようですが、「読んだつもりになっている」こと、意外と思い当たる大人もいるのではないでしょうか。
もちろん、言語の習得は保護者からの語りかけによるものが大きいでしょうから、言語の習得はアルファー読みで行っているといえます。
ところが、成長するにつれ、りんご・みかんを果物というようにまとめたり、目には見えないことを抽象的に表す言葉の理解が必要になってきます。
最近の子どもたちをみていると、どうやらその接続がうまくいっていないように感じられます。
例えば「問題文を読んでも意味がわからない」や「教科書を理解できない」などです。
そうなってくると、自分の思いを言葉に直すことも苦手になるので、「作文を書けない」子にも同じことが言えます。
そこで、幼少期の読書が重要な鍵を握るのですが、一度で理解できないと、諦めてしまうのですね。
大人でも「内容を理解した気になっている」本というものは、一度“音で”読んでいるだけのものが多いのではないでしょうか。
こうした状況が「読書離れ」として危機感を煽り、近年のライトノベルや、口語調の参考書、入門書などが飛ぶように売れているようです。
一度見れば理解できそうなものがどんどん出てくるなんて便利な世の中ですが、読めるものだけで勝負していると、いつか立ち行かなくなることが出てきます。高次から低次へと咀嚼して与えてくれる者がいなければ理解できないのですから、一生口をあけた雛鳥のままです。
もちろん、そうした“わかりやすい”本は、初学者で時間のない者にとっては非常にありがたいものですし、あくまでも入門ですから、否定はしません。むしろ、何かに興味をもったらどんどんそうしたものに触れて、興味の幅を広げて欲しいです。
ただ“未知のもの・一度で理解できないもの”が出てきたときに、ベーター読みができることは力です。
どうしたらアルファー読みからベーター読みに切り替えられるのか。
わくわくしながら読める一冊です。
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