合格基準は努力することが楽しいか


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先日中学校で卒業式が行われました。卒業シーズンになると、内田樹先生のブログで読んだ 次の記事を思い出します。

 

内田樹の研究室「困難な時代を生きる君たちへ」

 

~引用始まり~

まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、あとは生計について心配はしなくてよいというような「人生設計」を立てることがむずかしくなった。
 ただし、「むずかしくなった」だけで、まるで不可能になったわけではありません。そこがむしろ問題なんです。受験勉強なんか無駄、学歴なんか無意味、資格や免状も無価値というところまでいっそ徹底していれば、頭の切り換えもできるのですが、そうではありません。報われると信じて努力して報われる人もいるし、努力したのに報われなかった人もいる。
 その分かれ目にはっきりした法則性がないのです。それが私たちの時代の「困難さ」の実体です。

 

・・・

 

そういう時代にみなさんはどう生きればいいのでしょう。私に言えるのは一つだけです。どんな学問や仕事を選ぶにしても「努力することそれ自体が楽しい」ことを基準にして下さい。

 

~引用終わり~

 

 

「努力してもどうせ結果は出ない」「今楽しければいい」という言葉は普段生徒と接していると出てきます。「努力からの逃走」とでも言いましょうか。

 

しかし、努力しないのも、それはそれで不安になるだけです。

 

遊びも仕事や勉強があるから楽しいわけで、遊びだけだと、それはそれで次第につまらなくなります。

 

だから「楽しさ」と「努力」はセットなんでしょう。内田先生が書いているように、努力自体が楽しくなれば最強です。どこでも楽しく生きていけるはずです。

 

「受験勉強は合格したかどうか」にスポットが当てられますが、先の見えない不安定な時代では「努力することを楽しめたかどうか」が合格基準です。卒業生のみなさんが無事に合格してほしいと願う今日この頃であります。

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