とある塾屋の葛藤


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前回の記事でも取り上げた池田晶子さんの本を読んでいると、本質的なところを考えさせられます。

 

特に最近は受験生の進路の説明会、面談、学校見学などを行っているので、そういうときにはいろいろと考えてしまうんです。

 

僕ら塾屋って、偏差値の高い高校に入って、有名大学に入って、いい会社に就職してというようなわかりやすいストーリーを描いて生徒に話すことが多いじゃないですか。

 

でも、実際のところそういう道で順調に進んで行くのって、ほんの一部の人達だけじゃないですか。順調に進んでいっても、自分の知らないところで会社の不祥事などが起こって会社がなくなったりすることだって起こります。大地震や噴火などの自然災害が起こって働けなくなったり、原発事故が起きて住めなくなったり。ほんと個人レベルではどうしようもないことが起こりえます。

 

だから、偏差値ランク順の成功ストーリーをたどっていく話を、いったいいつまで話していけるんだろうと考えてしまうんです。進学塾としてそういうストーリーに乗せてしまえば簡単なんですけど、そのように話していても、ときおり身体の方が「本当にそうなのか?」と疑問を投げかけてくるのです。

 

池田晶子さんの本に次のような記述があります。医師を目指している高校生からのお手紙が彼女のところに届いたことについての記述です。塾屋としても考えさせられてしまう内容でしたので引用します。

(高校生の質問)

私は疑問に思います。死というものが存在しないのだったら、人は死を恐れなくなる。 確かに死の存在などどうでもよくなるかもしれません。では、医者が患者の命を救うのは どうしてなのでしょうか。すべての医者が死を恐れていて、患者もそうであることを前提 にだから死から救ってあげようとするのでしょうか。好きで病気になる人などいなく、 その病によって苦しんでいる人が一人でもいるのなら、それから救ってあげようとするの は自然のことです。でも、その医者が患者の命を救う時、なんのためにその人を生かすのかということについて自分なりの考えをもっているのだろうか。 文章を書きながら、何を言いたいのか、うまくまとまらないことに憤りを感じています。要するに、自分のなりたいと思っている医者、人の命を救う医者とはなんのために医者なのか、ということです。もっと言えば、どうして人を救わなければならないのか、ということです。医師を目指す人の疑問とは思えないようなことを問う自分に驚いてもいますが このように疑問に思っている私に、考えるためのアドバイスをください。 

 
(ここから池田晶子さん)
私はこのお手紙を読んで非常に困りましたけれども、ある意味では、まったく予想してい た通りでありまして、この謎、疑問と彼女も言っていますけれども、絶対矛盾、人間の現実 に立ち止まっていることですね。こういう人こそ、最も医者にふさわしい人だと私は思います。 つまり、問いを持っている、持ち続けている人です。その限り、医者というのは本当に大変な仕事だと私は思います。問いを共有して、つまり、生とは何か死とは何かという、 この永遠の謎についての問いを、医者と患者が共有して、共にこれを問うところにこそ、 我々の将来、未来の方向性は見えてくるはずなんですね。 逆に言えば、それしかないはずです。原点は、やはり私は一人称の死、自分が死ぬとはどういうことかという、 この謎に尽きると思います。すべての人間は、自分という意識を持つものだからです。医者も患者もみんな自分です。この謎、この謎に尽きます。この問いを持ちながら考え続ける、考え続けながら仕事をするそうでしかあり得ないと思います。 
〜引用終わり〜
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