スポーツジムの大手が英語を始めるようです。
今度はTOEICのスコアで結果にコミットするんだとか。
結果にコミットするぐらいやらせるらしく、
結果を出す→対価に見合う→客が集まる
ということなんでしょうけど、
これをしてしまうと、英語の学習が学校の部活動みたいなことになってしまいそうですね。
つまり、身体に無理をさせてでも短期的な結果が出れば、その後は知らないという指導です。
それで身体を壊して、その後、そのスポーツが続けられない、もしくは卒業後はそのスポーツが嫌いになってしまう。そんな話はよく聞きます。
これを勉強でやってしまうのはいかがなものか。結果が出ればいいのでしょうか。塾でも特訓だのと言って無理やりやらせるところもあります。その結果というのもTOEICのスコアだという。
仕事柄、英語関係の仕事に就きたいと生徒に相談受けることがあります。
それは別に構わないんですけど、そういう業界って、強制されなくても趣味みたいに楽しんで言語の勉強ができる人や、勉強しなくてもできてしまう帰国子女達がいるんですよね。
なんとなく英語の方が得意かなとか、他の科目よりましだなとか、これから英語ができた方が有利になりそうだとか流れてしまうんでしょうけど。
もしかすると、そういう人たちが、最終的に強制的に言語を勉強させてくれるようなところにいっているのかな。「やりたくねーなー、でもやらなきゃいけないな。」と葛藤して。
短期的には強制的に追い込めば結果が出るのかもしれません。スコアーが伸びて、昇進や就職や転職で有利になるのかもしれない。
でもその後が地獄ですよ。だってやりたくないんだもん。ほんとに英語が好きな子や、帰国子女にどんどん追い抜かれ、ロボットにだって仕事を奪われたり。
ところで、以前NHKの連続テレビ小説でやっていた「花子とアン」で翻訳家の村岡花子は次のように言っています。
「外国の言葉を知るということは心の窓を開くということです」
「英語なんか使わないじゃん」とか言ってみたり、「結果にコミットする英語学習」とか、そういうのって心の窓を閉じてるなぁって思います。おそらく英語は一生使えるようにはならないんじゃないかと思う今日この頃である。
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