ビリギャル著者の坪田先生の話を先日聞きに行きました。
坪田先生の『才能の正体』という書籍の出版されていた関係で、今回は「才能」がキーワードになっていたお話でした。
才能ってなんなんでしょう。
先生曰く、結果が出た後に後付け的に語られているのが才能だと言います。
ビリギャルのサヤカさんが大学に受かったから「あの子は才能があったから」と言われてしまう。
そこに先生は違和感があったと言います。
人が、才能を語るとき、事後的、かつ俯瞰的に才能を語りたがる。
これほんとにそうかもしれません。
これは努力する前に諦めてしまうこととセットです。
「うちの子には無理」「僕には無理」と。
普段から才能について事後的に、俯瞰的に才能を語る人は、才能とは何なのかが「わかる」と錯覚しています。
だから、誰かが挑戦したり、自分が挑戦する場合にも、そのやり方で「才能がない」と判定してしまうのです。
坪田先生は、答えが1つである受験勉強は誰でもできるようになると言います。
答えのない仕事などの方がよっぽど難しいと。
もちろん試験日程など締切はありますよ。そこまでに仕上がらないと受かりません。
でも、やる前よりできなくなるってことはないですね。やったことによってできることは確実に増えていきます。
もちろん、試験の点数や偏差値という結果だけでみれば悪くなることもありますよ。でもやる前よりはできるようになっているはずです。そこに目を向けていないだけで。
そう考えると、「誰にでも才能がある」と考える坪田先生の才能に対する考え方の方が建設的です。
あると考えて努力する。その過程が尊いのだと。
もう一度、私たちは才能について考える必要があると思います。
受験とか偏差値とかそういう基準を取り払って。
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